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🌎今宵アジアの片隅で・・・🌏~インドネシア横断1334km編~

※ジャカルタ・路地裏の朝陽とヒジャブ

ブランカ(出発)前夜パッキングを終えた。

バックパックは相棒のMILLET。もう10年近く一緒に旅をしている。

その相棒にTSAの南京錠とワイヤーを巻きつける。

さあもう準備はOkayだ。

リハビリ業務を終え、深夜、羽田T3からインドネシアへと独り向かった。

LCCのシートピッチでの熟睡は困難で、いつか福山雅治氏のTOKYO FM ゛ Jet Stream゛のような夜間飛行をしてみたいと思っているのだが、

なぜか毎回、野村訓一氏のJ-wave ゛Travelling Without Moving゛のようになってしまう・・・

ジェット機の轟音とやや寝不足を抱えたまま赤道を超え、私は熱帯のキャピタルシティ・ジャカルタへと降り立った。

ジャカルタは、ジャワ島の西部に位置しインドネシア政治・経済の中心だ。

ただ、猛烈な勢いで地盤沈下しており、カリマンタン島への首都機能移転が始まっている。

私は、翌日、ジャカルタから長距離列車に乗車し、世界遺産プランバナン遺跡群へと向かった。

石に変えられてしまった王妃の物語が残るプランバナン遺跡群は、

別名をロロ・ジョングランといい、そのロロ・ジョングランとは王妃の名前である。

その後、ローカルバスに乗り2つ目の世界遺産ボロブドゥール遺跡へ。

眼下に広大なジャングルが広がるボロブドゥール遺跡に登頂した頃には日が傾き始めていた。

私は、遺跡群の街に何泊かし、古都ジャグジャカルタへと向かった。

ジョグジャ(ジョグジャカルタの通称)の街には観光用の馬車が走っており

王宮や歴史資料館などがあるインドネシア人にとっても有名な観光地だ。

ジョグジャには1泊し、翌日にはまた長距離夜行列車でジャワ島最東部の街、ケタパンを目指した。

翌早朝、無事に終着駅ケタパンに到着し、約12時間の長距離夜行列車の旅を終えた。

だが、余韻に浸り安堵する間もなく、私はバリ島を目指し

早朝からフェリー乗り場を探さなければならかった。

バックパッカーにとってバリ島で過ごす数日間は、

移動をする必要のない、とてものんびりとした休息の日々となった。

ある日の昼過ぎ、ビーチにはセット胸くらいのファンウェイブがたっていた。

私は、10年ぶりにリーシュコードを足首に巻きサーフボードを抱えた。

そして、波に乗りドルフィンスルーとゲットアウトを繰り返した。

インドネシア:屋台メシ編

私の旅は、レストランなどへは一切入らず、いつもローカルが集まっている屋台で食事を摂る。

行き当たりばったりだ。

多少衛生面で問題があるのかもしれないが、一度も腹を下したことはない。(頑丈な身体に生んでくれた親に感謝だ)

路上の風に吹かれ、しらない言語と笑い声が響く空間で一緒に食べる屋台メシ

私にとって非日常であり、訪れた国の人々の生活を肌で感じることができるとても刺激のある体験なのだ。

そして、どこの国にも若者とオジサンはたむろしている。

缶ビールをもって声をかければ、おのずと互いに興味を示し宴が始まる

今回の旅では、バリニーズ・ロシアン・アメリカーノ・ティモーリアンからなる

多国籍の若者たちとの路上飲みに数日間加わった。

オジサン同士では、ビーチでリタイア組のオージーと一献傾けた。

インドネシア人はとてもフレンドリーで、こちらが日本人だとわかると、さらに親切丁寧に接してくれた。

そのおかげで、インドネシア1334kmの旅は、とても良いものになった。

東南アジアを旅して毎回感じることは、日本人に対してみんな親切だということ。

先人の旅人が、日本人として節度ある立ち居振る舞いのあるをしてきた結果だと思う。

これからも、日本人であることを誇りとし、どこの国に行っても謙虚に旅を続けていこうと思う。

モンスーンが恋しくなったら、

いつでもバックパックを背負ってに出よう・・・

今宵、アジアの片隅で・・・

【投稿者プロフィール】

大 畑 陽 介

1975年 7月29日生まれ 50歳

社会福祉法人 南山会 喜多見ホーム

特養看護サービス部 機能訓練指導員

柔道整復師/介護支援専門員/東京DWAT(災害派遣福祉チーム)

【略歴】

大学卒業後、就職氷河期を大義名分にワーキングホリデーへ。

西オーストラリア州パースでサーフィン三昧の日々を過ごす。

帰国後、営業職に就くが父親になるのを機に、柔道整復師免許を取得し現在に至る。

【趣味・活動】

総合格闘技(U-FILE CAMP所属)/三線演奏/週末バックパッカー/シングルファーザー(一女の父)/フリーウェイト・トレーニング